読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まだ始まってすらいない

アイドルマスターの天海春香さんと添い遂げたい系女子の回顧録になる予定。

題名はBright Blue


鷺沢文香というアイドルは多重構造によってできている。

アイドル鷺沢文香という書物、書庫の少女であった鷺沢文香という人、そしてアイドル鷺沢文香の書き手としてのプロデューサー、それらの層が折り重なり鷺沢文香という物語は書き上げられている。

人が頭の中で思考する時、何人もの自分に分かれる。
是と言う者、非という者、余所事絵空事、それらを俯瞰して見る自分。
鷺沢文香にとっては、その幾重もの自分はすなわち彼女の読んできた書物の数々なのではないかと私は思う。

つまり鷺沢文香というアイドルは、書庫の中に埋もれるひとりの肉体を持つ少女であり、また少女が読んできた数多の書物の擬人化なのだ。本が自らの意志を持ちアイドルとして己の物語を刻みだした、鷺沢文香とはそのようなアイドルであると思うのだ。

 

 


私は出会う前の鷺沢文香を知らない。だから彼女がどんな思いであの書棚の中に居たのかわからない。けれどそれは彼女にとって非常に幸福な夢の中であったのではないかと思う。

彼女は瞳を閉ざし、自らを卑下する言葉を使う。私のような者が、と、それは自分を下げるものですらなく客観視すらされた事実を語る言葉だ。
実際彼女は俯瞰する者であるのではないかと思う。彼女の内面世界を俯瞰する者。彼女にとっての内面、内なる世界、真実は外の世界ではなく書物の中にあったのではないだろうか。

その俯瞰する者である彼女は、書物の擬人化であるアイドル鷺沢文香とおそらくニアリーイコールである。
彼女にとっての真実、書物は光である。そこには物語があり、人生があり風景があった。そして彼女はおそらくそれだけで満たされていたし、そこで閉じる人生に不足もきっとなかった。
ただそこには彼女自身の物語がなかっただけ。

書物に対して彼女は読み手である。書き手にはなれない。読むという行為に対して彼女は主であるが、物語そのものに対して彼女は受け身の側だ。自らその物語自身に成ることはできない。
そして彼女は自らの物語を述べる道を選んでこなかった。それは恐れのためでもあり、また何より物語という真実が彼女の内側にあったからだ。それが己のものではなくとも。外の世界には、彼女自身の世界の中には彼女が自分の真実とするほどのものがおそらく彼女にとっては存在しえなかったのだ。
物語を己と重ね己の生き方にすることはできる。彼女はそうして生きている。けれど彼女は物語を享受するのみで、己の生き方を模索することはしなかった。そこに彼女の矛盾があった。そこに幾重もの彼女が生まれる。

数多の書物を真実とする書物の中に生きる内面世界の鷺沢文香と、現実世界では書架の中でインクの匂いに埋もれて生きる少女の鷺沢文香
知識という経験値を重ね可能性を広げる書物ひとつひとつの中にある鷺沢文香の心の一片と、それらの自分たちをそして現実を俯瞰してみる瞳を閉ざした鷺沢文香

しかしそれらの鷺沢文香は矛盾しつつ、共存しているのである。静かに、おだやかに、しかし確かに息づいている。それらはすべて彼女にとっての大切なものだ。


プロデューサーが彼女の瞳に見つけたのは、少なくとも私Pが見つけたのはその可能性だ。深く美しい深淵に満ちた青い瞳。

ぶっちゃけて言うと私はひたすらに彼女の顔が好きだ。
他に担当アイドルを述べると遊佐こずえ、大槻唯、一ノ瀬志希などなどだから私はとにかく顔がお人形さんみたいに綺麗な女の子が大好きなのだ。私は鷺沢文香の顔オタである。それは間違いない。
けど言い訳をすると、彼女たちのその美しい顔面をお人形たらしめているその構成する要素がたまらなく好きなのだ。環境、遺伝子、育ち、それらによって美しく生まれついてしまった彼女たちの生き方が、そのお顔がどうしようもなく好きなのだ。美人になら何されてもいいってくらい顔のきれいな女が好きなのだ。

話を戻すと、
鷺沢文香の瞳の中には、それだけで物語がある。深いその青の中に、彼女の読み漁ってきた数多の物語がその形を失わず、ありのままにそこにある。

そこにはひとつの不純物もない、なぜなら彼女自身の物語が存在していないからだ。
彼女はいわば書の女神、本そのもの。物語の擬人化。
一冊の本の物語が、そのまま一人の肉体を受肉した姿。たったそれだけの物。その研ぎ澄まされもしない深くそこにあるだけの虚無に近いその瞳が美しかった。一目で恋に落ちた。

彼女にいっそ何もないままでいてほしかった。彼女はありのままで美しかったから。

けれど彼女は、いや彼女が確かにありのままの彼女であるために、彼女自身の物語が必要となった。それもまた構造を複雑にする矛盾だ。
彼女自身が物語になるために、彼女の中にある物語の泉を鷺沢文香というアイドルに体現させるためにどうしても、俯瞰する者である鷺沢文香の意志が必要だった。そのままではただの劣化品に成り果ててしまうから。

つまり彼女自身がもう一度、彼女の取り込んできた物語を描き直すという作業だ。俯瞰する者である鷺沢文香が、ひとりひとり、物語を体現する鷺沢文香を書き出す。そのために俯瞰する者が自ら物語を示す行為が必要なのだ。
プロデューサーがアイドル鷺沢文香の書き手であるが、プロデューサーが描くのはアイドルの鷺沢文香ではなく、俯瞰する者としての鷺沢文香の物語だ。そしてその物語を与えられた鷺沢文香が、アイドル鷺沢文香を創り出す。これはそういう多重構造なのだ。


鷺沢文香のプロデュースとは、書物の擬人化アイドル鷺沢文香とPが父母となり俯瞰する者である鷺沢文香を育てる物語であり、Pによって物語という種を与えられた鷺沢文香という一人の人間が自らの子であるアイドル鷺沢文香を創り上げる物語である。
だから私にとって彼女は、共犯者であり、女であり、娘であり、いたいけな可愛い預かり子である。だから、私は彼女に手は出さない。それよりもっと崇高で淫靡な絆があるから。

だから、一歩を踏み出してアイドルに成った彼女に与えられたタイトルはBrightblue。矛盾していても、それが彼女のみつけた景色なのだ。