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まだ始まってすらいない

アイドルマスターの天海春香さんと添い遂げたい系女子の回顧録になる予定。

輝きの向こう側へ行くために(ムビマス春香考察)

アイドルマスター 天海春香 アイドル考察 輝きの向こう側へ

劇場版アイドルマスターについて考えてみた。

1アニマス・ムビマスの春香への不信感

私は春香担当のプロデューサーだが、初見からしばらく、というかつい最近まで、ムビマスの中の春香がわからなかった。もっと言えばアニマスの春香もだ。違和感を感じてしょうがなかったし、私が本当に好きな春香ちゃんはこんなものとは違うという気持ちがどこかに僅かにあった。私は春香担当として、一春香ファンとしてアニメの中の彼女を好きになれないことが悔しかったし、あれだけ出番・描写があって満足できない、満足に考察することもできない自分の低能さが悔しかった。
最初公開された時はM@STERPE@CEの感動と共に、どうしても納得することができなくて何回も劇場に足を運んだし、DVDが発売されて改めて見て考察に行き詰ってからはショックでしばらくムビマスのことを思い出すのも嫌になった。

さて、アニマス・ムビマス春香のどこに違和感があったかと言うと、彼女は本当にアイドルとしての責務・仕事より仲間の和を重要視するような性格だろうかという点だ。彼女は「歌が好き」「みんなに歌を聴いてもらうのが好きでなにより嬉しい」「だからみんなにもっと歌を聴いてもらいたい」そのために、アイドルになった少女である。無印春香コミュの中では「好きなだけではできないこともある」と春香が言っている場面がある。


春香は「みんなと」だけでは「仕事」にならないことをちゃんと自分で理解できている子なのだ。
私の意識の中にはどうしてもアニマス春香について『仲良しこよしのお友達グループじゃないんだから…』という思いがどこかにあった。
(しかし「仕事」より「仲間」を大切に思うのもまた春香であり、春香は心優しい普通の女の子であることも忘れてはいけない)
また、無印では基本的に春香一人であり、仲間は居ないためわかりづらいが、仲間をプロデューサーに置き換えて考えてみてはどうだろうか。春香は最後ずっと二人で歩んできたプロデューサーから別れを言い渡される。しかし春香はそれに耐えて、一人で歩き出す。そんな一人で立って歩ける子だったはずだ。天海春香は。

しかしこれは私の中の先入観であり、「私がこうあって欲しい天海春香」でしかないと気づいた。正確には「トップアイドルになりラストコンサートを乗り越えた天海春香」だ。
もっと言えば、私がムビマスに置いて、アニマスのその先の成長した春香において期待していた「春香像」だった。
しかし、結果として言えば、アニマスの話の春香回においての春香の葛藤は「春香の成長」ではなかった。あれは春香を代表とした「765プロが真の意味で団結するまで」の物語であり、「春香自身の物語」ではなかったのだ。あの数話の中脱落するのは春香じゃなくても、他の誰かでも構わなかったのだ。「765プロが団結する物語」で一応センターとして、また765プロのみんなの和の中心として春香が選ばれただけで。

765プロの団結の物語」としての話を要約すると、みんなが感じていた「自分たちは一人ではなく仲間が居てこその今までであり765プロだ」という気持ちを、みんながみんなそれぞれ受け入れた。春香の気持ちもみんなで受け入れた。という話ではないだろうか。

私がアニマス話で感じていた、春香への違和感も当然のことだろう。あれは「春香の物語」ではなく「春香の成長」を描いたものでもない。だから私が期待している成長した春香はTV版アニマスのどこにも居ないのだ。


あんな優柔不断で弱い女の子、ましてアイドルだっただろうか?とも思った。
彼女は本当に、可奈の脱退や志保の意見に怯えて日和っただけなのだろうか?私はどうしてもそう思えなかった。もっと言えば、それは天海春香ではないと思った。
だからって、急に「私は天海春香だから」と悟りを開いたようになってしまうのも、よくわからなかったのだ。






2等身大で普通の女の子 天海春香

まず何故あんなにも迷ったか。答えを出せなかったか。
人はその時々でいろんな自分がいる。弱音を吐く自分や、それを許せないと思うプライドの高い自分。人を馬鹿にしたりする自分や、そんな自分を恥じたりする自分。
春香の中にも、志保と同じように「(できない人を置いていってでも)自分に出来得る限りのパフォーマンスでライブを成功させたい」そんな気持ちを持った春香も存在していたのではないだろうか。

春香は劇中でも志保の意見が間違っているとは思っていない。むしろ正しいと思っている。
(公開当時私はそれにアニマスでやってきたことや765プロを否定された気になって勝手に発狂した)
いろんな自分がいる中で、それのどれもを否定するのではなく、その中からこれというものを選択する。
だから正確には「『私』は天海春香だから」ではなく、「『この私』(この選択)を天海春香にすると決めたから」だと思う。


迷っている間、春香は自分の「みんなで一緒に」という意見をリーダーらしくないとして自分で否定していた。
そこで何が決断するに足りなかったのか。それは春香自身の覚悟と可奈の気持ちだと思う。

まず可奈が実は本当に「嫌なもの投げ出せてスッキリする」ようななんとなくアイドルを目指しただけの女の子だったら、春香の思いはすべて無駄になる。だけど春香は合宿中の可奈と話したことや、何より可奈と自分を重ねていることからどうしてもそうは思えなかった。けれど可奈と知り合って間もない春香にはその可能性をも否定することはできなかった。

そして春香自身の、リーダーとしての覚悟。

リーダーである春香がどうしたいか、というのは、言い方を変えると「みんなにどうしてほしいか」ということでもある。当然それにはリーダーとしての責任が伴う。
そして自分がどうしたいか、みんなにどうしてほしいかということを問いかければ、その後にはそれを受けてみんなはどうしたいのかということを受け入れなければならない。それによって意見を翻すとかではなく、みんなの気持ちを背負った上で選択しなければならない。
その上リーダーとしてその選択の失敗・成功を背負う覚悟が必要。春香にはその「どうしたいか」とそれを遂行する覚悟がなかった。


大事なのは、そんないろんな部分を持った自分を否定しないこと。受け入れること。
その中から自分を決めること。
それはアイドルマスターという大きなコンテンツから、それぞれのアイドルを選ぶことと似ている気がする。
これからアイドルマスターはいろんな展開をしていくけど、全部ひっくるめて、みんなまとめてアイドルマスター。だけど前に進むには、一つやり方やを選択したり覚悟を決めたりしなきゃいけない。
だからプロデューサーのみんなも、それぞれ自分のアイドルマスターを選択して覚悟を決めてね。
アイドルマスターというプロジェクトもそれぞれ、時に方針をある一定の方向に決めて、時にあるアイドルにフィーチャーして進んでいくからね。ってことを伝えたいんじゃないかと思った。そのために、アイドルマスターの象徴である春香が代表として選ばれたんじゃないかって。
だから最後にはミリオンの子もシンデレラの子も出てくる。765プロの意志を受け継いで別々の道を歩く存在として。


「どうしたいか、でいいんだよ」というのは9thの中村さんと同じように、春香がまだまだ未熟な僕らに与えてくれた許しであり、覚悟を決めろという促しなのではないかと僕は思う。


でもここまでの流れがすごく長い。なのに最後はアリーナライブですべてまとめてしまう。
だから余計春香にイライラさせられるのではないかと思う。


3 十六歳の春香trueendのその先

そして「みんなで一緒に」という選択。
何故春香が出した答えはこれだったのだろうか。それは勿論「天海春香」だからであり、そして春香が普通の女の子代表のアイドルだからだと私は思う。

アニマスの春香回及びムビマスは無印の春香コミュからの流れを汲んでいると私は思う。
春香がアイドルを目指すきっかけとなった公園の歌のおねえさんとのエピソード。引っ越したばかりで一人ぼっちだった春香が歌のおねえさんに歌を教えてもらって、みんなと仲良くなっていくという話だ。みんなと一緒に歌を共有する、ということが春香を突き動かす最大の動機だ。
バットコミュを見るとわかるが、その集まりは結局春香と友達の仲たがいによって終わりを迎えている。


このことから私は、春香がアイドルを目指した理由は「あの時のような楽しさをもう一度」と願ったことではないかと思う。そのくらい、春香にとって「みんなで一緒に」というのは大切なことなのだ。

しかしAランクランクアップコミュで春香は歌に対するモチベーションを失ってしまう。


これはムビマスの状況と似ていないだろうか。大好きな歌が、義務的なものになってしまう。「みんなで一緒に」楽しくと願っていたものが、リーダーだからやらなくてはいけないものになってしまう。ランクアップコミュで春香に足りなかったのは、誰かに馬鹿にされたり必要とされなくても自分の「好き」を貫き通す覚悟だった。
同じように可奈を迎えに行く覚悟を決めるまでの春香の「みんなで一緒に」は理想でしかなく、また仲良しこよしのお友達のものでしかないと私は感じる。

春香も可奈を待っていたいと願っていたのも、あの電話の後覚悟を決めるまでは、本当の意味で可奈を信じていたわけではなかったのではないだろうか。本当に信じていたら、最初から可奈を迎えに行くこともできたはずだ。なら何故そこまで動けなかったのか。それは春香自身が自分の「みんなで一緒に」を信じ切れていなかったから、春香自身の覚悟が決まっていなかったから。

春香も自分でわかっているのだと思う。好きというだけでは仕事にはならない、みんなで仲良しこよしではやっていけない。
それでも「みんなで一緒に」という道を選んだのは、志保や奈緒たちと同じ最後まで全力を尽くしたい諦めたくないという思いだと思う。

明日がどんな日になるかはわからないけれど、それはどんな日にでもできるということ。可能性や成功率は低くても、みんなでできる可能性が残されているならそれを掴みたい、という春香の覚悟のある選択であり、アイドルという理想・憧れを体現している。

無印のコミュではPの言葉で好きだという気持ちは変わらないと持ち直す、しかしここでは春香は自分で覚悟を決めるしかない。
どうしてここにPを関わらせなかったのか。あそこでPが何かひとつ声をかけていれば事態はもっと早く収拾したはずだ。
私はここに無印春香endの続きのようなものの匂いを感じた。プロデューサーと離れて歩き始めた春香の姿を。無印のエンドはユニットの解散はするが、プロデューサーとアイドルはその後も共にあり続ける。そう、春香以外のアイドルはみんな。トップアイドルのその先、輝きの向こう側に行くために、春香はプロデューサーと離れて自分で決断しなければならないのだ。
今まで2基準で物語を描いてきたが、ここに来て今までのアイドルマスターの総括と言える作品にしたかったのだろう。それは千早のアメリカ行きや律子のプロデューサー化からも伺える。(だからって律子ちゃんがステージに立たなかったことが正当化される訳ではない)

プロデューサーと別れた後描かれない春香の輝きの向こう側。それがこの映画で描かれた春香の姿ではないだろうか。


春香自身はどんなアイドルになりたいのか。Pは春香にどんなアイドルになってほしいのか。
春香はアイドルマスターの象徴的な存在だ。そのため今までの全部、をと願わされたという部分もあると思う。
でも春香の夢のはじまりは、可奈と同じように歌を教えてくれたお姉さんへの憧れ、一緒に歌うことの楽しさ。そして好きという気持ちを捨てては春香は春香ではなくなってしまう。春香にとっては楽しいを共有してきたファンのみんなも仲間もライバルもみんなが大切で欠かせない存在なのだ。
アリーナライブを成功させるだけなら志保や奈緒たちの意見は全く持って正しい。だけど春香がアイドルとして全力を出すためには、みんなが必要なのだ。

春香は個性的なAS組の中でも普通の女の子だ。夢を見て恋をして、そして挫折を味わい大人になっていく。そして大半の普通の大人はそこで子供のころの夢を捨て、あるいは夢の形を変えて、そのうち忘れて行ってしまう。けれど春香はアイドルだ。
プロデューサーやファンの夢であり理想だ。だから春香には夢を捨ててほしくない。アイドルとして理想を抱き続けてほしい、夢を見せ続けてほしい、そう赤羽根Pはそしてアイマスに携わってきた人々は思ったのではないだろうか。


・はるしほ的おまけ

春香は決して志保や奈緒の意見が間違っているとは思っていない。春香がみんなで一緒に、を選んだからといって、春香のどうしたいかをリーダーとしてみんなに押し付けようとは思っていない。だからアリーナでどうしたいかを語ったあとに志保やみんなの意見を求める。
ここでそれでも志保が春香のみんなで一緒にを否定・拒否したらどうなっていたのか。その時は、可奈と春香で志保を説得したと思うけれど……。それでも一つの意見としてちゃんと受け止めたと思う。
あの時の春香のどうしたいかは、ただの理想や空想論ではない。確かな覚悟を持ったものであり、可奈のどうしたいかも挫折を味わい困難を前にしてそれでも諦めないという覚悟だ。その覚悟を前にして志保がそれでも違う意見を持つなら、それもまた覚悟を持ったものだろう。


12/08
大晦日に輝きの向こう側へを放送するそうですね!
ムビマスから入った新人Pさんも少なくないと聞きますから、こういった機会を楽しみにしていました。
改めてムビマスを見るに当たって、春香もそうですが、志保や可奈についても先にいろいろな情報を仕入れてから大晦日放送を見れば、また違った発見があるのではないのでしょうか。
この記事がそのきっかけになれば幸いです。

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